「非合理的な社会的慣習」の話。

ネクタイの次に廃れる「非合理的な社会的慣習」は何だろう? – 月明飛錫

この記事を読んで、とても共感したので御紹介します。詳しくはリンク先を読んで欲しいんですが、締めの文章が素晴らしかったので、まずは引用させていただきます。

非合理的にもかかわらず、横並びという理由だけで続いていた慣習は、社会的に廃止を正当化しうる理由(ネクタイの場合は、温暖化対策)さえあれば、簡単に変わるということだ。

これ、本当にそうです。

人間って、「そのまま」が一番楽なんですよね。「変化」には慣れる必要があるし、ある程度の思考力や想像力がないと変えた後のメリットを計れません。そのため、何かを変えようとすると、だいたいの場合は反対する人が現れます。最近よく聞く世代間対立とかも、その構図ですね。

個人的には、ネクタイどころかスーツすらも非合理的だと思いますよ。夏の30℃以上もある日に、スーツ着てるってどういうことでしょう。エアコンが効いているはずの満員電車すら、汗だくのサラリーマンの体温のせいで気温が上がって蒸し暑いです。周りも良い迷惑ですよ。

こういうことを言うと、「マナーが…」とか言う人がいるんですが、彼らの考えの浅さには辟易します。彼らの言う「常識」とやらは、所詮誰かに植え付けられたものでしかないですからね。スーツを着る理由は「誰かに怒られないため」でしかないわけです。判断基準を自己ではなく他者に委ねてしまっているんです。

そういう思考の人が多いから、「非合理的な社会的慣習」はなかなかなくならないんですね。みんなで一斉に止めないと、彼らは不安でしょうがないわけです。大人になっても自己判断ができない人が多い、日本ならではの現象ですね。

非合理的なものを目にしたときに、正常な思考力があれば人間は違和感や嫌悪感を感じるはずです。問題は、その感情を大切にできるかどうかなんですよ。目を瞑ってしまってはいけません。「ことなかれ主義」とはよく言ったものです。

外国ではどうか知りませんが、日本の教育において、大人が子どもに一方的に「駄目」という場面が多いように感じます。それは学校でも、家庭でもそうです。でも子どもは、そんなことは知ったこっちゃありません。「なんで駄目なの?」と純粋に質問を返します。大人は、ここできちんと説明しないといけないんですよね。でも、それができる大人は非常に少ないです。なぜなら、それが駄目なのが彼らにとっての「慣習」だからです。

以前“「思考の前提」の話。”というエントリーで書いたように、自分が生きているたかだか数十年の「常識」のみを前提にするのは、非常に愚かなことです。そして、それを自分より数十年後の時代を生きている世代にも適用しようとすることは、さらに愚かなことです。

今回のネクタイの件のように、社会の常識なんていうのは数年でも変わってしまうことなんです。だとしたら、社会に先立って自らが自己哲学に基づいて変化することを恐れる必要がどこにあるんでしょうか。社会の変化を後追いして、したり顔で語っている人ほど格好悪いものはありません。

2010年代は変革の時代だと思います。徐々に、変化へ向かう風潮になって、保守的な人が減っていくと良いですね。日本はせっかく面白い国なんですから、このままじゃもったいないです。ひとりひとりの変化を促進して、社会全体を改善する方向にもっていくべきではないでしょうか。

今日の私的ブックマーク

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