「大人」の話。

先ほど情熱大陸に、僕の好きなデザイナーの吉岡徳仁さんが出演していました。その中で、彼が言った言葉にとても共感したので御紹介します。

「いいディスプレイには、ガラスに子どもたちの無数の手形がつく」
「子どもが喜ぶものは良いデザイン」

子どもの評価って、一番素直なんですよね。彼らには無駄な社会性がありません。思ったことを、すぐ口に出します。そしてそれは、しばしば大人の「誰かの理屈」で塗り固められた意見よりも、よっぽど本質を突いています。

そもそも「大人」の定義ってなんなんでしょうか。世間で使われている「大人」という言葉を聞いていると、法律で定められている「成人」とはちょっと意味合いが違うんですよね。どうも、彼らの言うところの「社会性」が基準になっているような感じがしています。

しかし、僕はこの「社会性」ひいては「社会」ってやつが怪しいものだと思っているんです。それこそ、社会をどう認識しているかなんて十人十色でしょう。人によって見え方の違うものを基準にするっていうのは、筋が通ってはいないですよね。また、前回の記事で紹介したネクタイの件のように、数年で変わってしまう「社会」もあるわけです。まさに諸行無常、こんなに不定形なものに判断基準を委ねるとは思考停止も甚だしいですね。

なので、僕は「大人になれ」という表現が大嫌いです。言ってることは、ちょっと前に流行った「空気読め」と同じですから。さらに言えば、「それを言った人が不満を感じないように、空気を読め」という意味の場合がほとんどですね。そもそもその「大人」の基準は、一個人の感覚に委ねられているわけですし。そんなこと言ってるお前は何様だよ、と(笑)

もう大人・子どもで分けるのを止めればいいと思うんですよね。人生、そして時間の経過はどうしようもなく連続的ですから、そんなラベリングに意味はありません。結局その区分って、「大人」にとって都合が良いだけなんですよ。それがあると、年少者に物申すときに大人が楽なんですね。

これから大切になっていくのは、むしろ「子どもの目線」だと思うんです。ここで知って欲しいことは、この子どもの目線は何歳になっても、誰でも潜在的に持っているものだということです。いつからか「大人」にならなくちゃいけないと思い込まされて、そんな中で育っていくうちに人は自らの外殻に「社会」を纏ってしまいます。しかし、その中には子どもの頃と全く変わらない感覚があるはずです。

優秀なクリエイターやアーティストの人っていうのは、年を重ねてもこれに対して素直になれる人なんだと思います。見ていると、なんとなく少年っぽい人が多いですよね。いたずら心・遊び心が豊かな人が多いです。ヒトとして、とても魅力的です。

そういう人が増えないかなあと、いつも思っています。そのためにはみんなが「大人」も「子ども」も「ヒト扱い」することが重要でしょうね。

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  • yururi14

    初めまして
    たまにのらりと読ませて頂いております!

    吉岡さんの「情熱大陸」、拝見しました。
    まさにデザインと「遊ぶ」彼は、「こども」であり、
    キラキラしてました。

    この「話」を読み、(関係ないのだが)
    改めてMJの魅力を認識した次第。どーも^^

    追伸。
    ‘Inner-child’を見失わない男性は
    仄かに母性本能をくすぐるのですよ~w

    少年系男子、万歳。

    増えたら、女子も喜びます。

  • カズワタベ

    yururi14さん

    吉岡さんの素材に対する姿勢って、まさに子どもがおもちゃを欲しがる様ですよね。見てて素敵だなって思います。

    MJもそうですよね! 彼は大人げない大人の代名詞です。

    僕もInner-childを大切にしていきたいですね。